最近YOUTUBEとかアニメをみていて凄く思う事がある。
「なんでこんなつまらないものを選んでみてるんだろう」と…
特にメッセージ性のない、ただ時間を消費するだけのもの。
いってしまったら全ての娯楽なんてそうなのかもしれないけど、最近のものは特に知性を必要としなくなったと思う。
勿論そうではないものは沢山ある。
ただ説教くさい娯楽が好きなはずだったのに、そうではないと自分が感じてしまうようなものをただただ選んでみている、という状況に違和感がある。
これだけ好きなものを選んでいい時代なのだから、小津安二郎作品を全部見るとか、すればいいのだ。
でもしない。
情報が飽食状態になっている時代。
毎日おいしいものを食べていたらつかれてしまう。
吉野家がいいんだ。
マクドナルドがいいんだ。
商売として成功するのはそっちで、そしていつの時代だって文化を牽引しているのは金が動いているほうだ。
現実のもっている、それまでは現実しか持ち得なかった、「迫力」。これが今は変わってきているのだろう。
それを流行というのだろう。
「知性」がどんどん必要なくなっていっている時代だ。なんだってスマホで調べれば出てくる。グーグル翻訳もあれば、最近なんて脳に直接データを書き込めるなんて技術が開発されたらしい。
これは抗っても仕方ない。
現に東京で文化を牽引している場所はどこですか?と聞かれたら、少し昔だったら「新宿」と皆答えていただろうが今は「秋葉原」と答える人が多くなってきているだろう。
うちの店は新宿にメインの事務所があるが、やっていることは秋葉原的な事を意識している。少なくともそういう意図で来る人は非常に多い。
悲しいかな、世の中はどんどん抽象的に、そして多様化していく。少数派に優しい時代になっていく。
コミュニケーションの取り方が今ある言葉で足りなくなってきている。ラインのスタンプも今となってはもう新しい文字みたいなものだ。音楽だって曖昧な方向のものが流行っている。歌詞があっても言葉を記号として使っているようなものがアイチューンのヒットのところに出ているような気がする。
今まで存在しなかったものがどんどん迫ってくる。
だからロボットデリヘルは存在しているものを存在しなかった方向に向けた。
説教くさいものが僕は好きだが、そういったものが文化として優れている訳ではない。
僕が見つけていないだけで、やっぱり今の文化にも何かしらがあるんだろう。
その何かしらを見つけようとしている時点でもう考え方としては古いのかもしれないな…と悲しくなったりしている。